2018/03/11

洋画備忘録:テオ・アンゲロプロス『アレクサンダー大王』

『アレクサンダー大王』(Ο Μεγαλέξαντρος, 1980)

【記事について】
・見た映画についてストーリーや感想をまとめます。
 ストーリーは一部始終を書くのでネタバレ注意です。

【ストーリー要約】
Ⅰ.プロローグ:アレクサンダーの伝説
・かつて、アレクサンダー大王は国々を解放していった。
 あるとき、彼は自問し、世の果てへと旅立ったという。

Ⅱ.新世紀の誘拐
・19世紀の終わり、ある小島で集団脱獄が起こった。
 脱獄囚たちの指導者はアレクサンダー大王と呼ばれた。
・新世紀の夜、イギリス大使館はパーティを開いていた。
 客には貴族や、ギリシャの鉱山開発の利権者がいた。
 地主は利権者に、村人たちが所有権を譲らないと語る。
・貴族たちは初日の出を拝むため、海辺の神殿へ行く。
 そこに大王たちが現れ、貴族たちを誘拐し人質にする。
 大王は国に村人の土地所有と囚人の解放を要求する。

Ⅲ.コミューンにて
・要求を却下された大王は貴族をつれて村に帰郷する。
 村は「先生」と呼ばれる大王の知己が率いていた。
 村人たちは共産制を実践し、私有財産を廃していた。
・大王の兵士たちは自分の土地や財産の喪失に戸惑う。
 一方、村人たちは兵士の貴族誘拐や羊殺しに動揺する
・国から裁判の提案が届き、地主も村の土地を放棄する。
 村は私有制に戻るか共有性を続けるかを巡り分裂する。

Ⅳ.大王の過去
・大王は身元不明の孤児であり、育ての母と結婚した。
 結婚式の日、地主の手引きで母(妻)が殺害される。
 その後、大王も農民蜂起の計画者として投獄される。

Ⅴ.暴政と崩壊
・約束の裁判が開かれるが、大王は判事を殺してしまう。
 大王は「あれしかなかったのだ」と自問し、崖で叫ぶ。
 羊の毒殺と家への放火が起こり、村人たちは武装する。
 しかし、大王は武器を取り上げ、恐怖政治を始める。
 大王は自分の娘を含むレジスタンスや先生を処刑する。
・判事の殺害を受けて、軍隊が村への攻撃を開始する。
 兵士を失って広場に倒れた大王に、村人たちが群がる。
・村人は降伏して村を降り、軍隊は村の中で大王を探す。
 しかし、見つかったのは血痕と大理石像の頭部だった。

Ⅵ.エピローグ:アレクサンダー伝説の行く先
・「こうしてアレクサンダーは町へ入ったのである。」

【感想】
Ⅰ.19世紀末のギリシャとギリシャ観
・1990年代はギリシャが近代化を推し進めていた時期だ。
 しかし、イギリスなどの列強国の介入も受けていた。
 なるほど、『大王』はカリスマや共産制を描いている。
 とはいえ、その出発点はイギリス人のギリシャ開発だ。
 つまり、帝国に対する農村救済策の挫折の話でもある。
 民衆の伝説的アレクサンダー像の挫折と言ってもいい。
・イギリス人貴族は19世紀的なギリシャ観を持っている。
 古代ギリシャへの賛美、そして近世ギリシャへの軽蔑。
 前者はギリシャ愛好家の詩人バイロンと共に語られる。
 後者は無教養への嘲笑や例の開発の態度に現れている。

Ⅱ.政治的図式と結末
・第一は農民に土地を手放させたいイギリス人と地主だ。
 帝国を後ろ盾にした投資家が近世農業社会を切り崩す。
・伝統的な農村が地主に対して持てる対抗策は二つある。
 大王はカリスマとして武力抵抗を率いた(一度は未遂)。
 先生は村全体を共有財産とし、所有権に訴えていた。
 二人は1990年代の共産主義の会議で対立したらしい。
 先生は暴力と独裁を拒否する修正主義者かもしれない。
 イタリア人アナキストが先生の規則を守るのも自然だ。
 アナキストからすれば大王の独裁こそ許せないだろう。
・アンゲロプロスは結末を「夢の終焉」と呼んでいた。
 夢の後に残るのは、脱出した少年と町に降りた農民だ。
 少年アレクサンダーは単純に次世代の希望にも見える。
 一方で、大王を反復するような不安を覚える面も多い。
 (名前の一致、母めいた人物との接近、孤児の運命)
 農民の方は、大王を食べて(後述)町に降りている。
 最後には「アレクサンダーが町に降りた」と語られる。
 大王への希望と失望の歴史が近代に残るということか。

Ⅲ.宗教的要素
・映画の随所にキリスト教文化のパーツが見受けられる。
・一番印象的だったのは、神食(テオファジー)の要素。
 聖餐式の座席配置は大王自身の結末も予告させていた。
 とはいえ、本当に食べられたように描くとは意外だ。
 農民が群がった後は何も残らず、頭部像が発見される。
 難解だけれど「食べられた」が一番シンプルだと思う。
 監督も神食に言及していたけれど、こうくるとは…。
・監督がビザンツ的と言及していた要素は他に二つある。
 一つは独唱と復唱(指導者と大衆)というミサの形式。
 もう一つは重要な場面で使われる円形広場のデザイン。
・監督は触れてなかったけれど、痙攣も印象的だった。
 大王の痙攣には啓示や幻視を授かる霊感者を思い出す。
 「後ろを向け」にはこれを神聖視させるところがある。

Ⅳ.タイトルについて考える。
・邦題は原題通り。タイトルもごくシンプルだと思う。
 民衆に伝わる大王伝説と、それに基づく主人公の通称。
 「解放者から暴君へ」という筋書きを含む名でもある。
 後は、少年アレクサンダーをどう取るかが残っている。
 この少年については思いつくことはさっき言った通り。

Ⅴ.全体的な感想:とても長いので限られた人におすすめ。
・長回し多用の4時間作品なので、覚悟しないと疲れる。
 (僕はこの記事を書きながら見たので楽に見れた。)
・よく感想で見かけるのが360度撮影と日の出の美しさ。
 特に貴族が日の出を拝みに行くスポットはとても良い。
 そこだけ見たい人はとりあえず貴族誘拐まで見ればOK。
・アンゲロプロスを見たい人なら結構見ていられるかも。
 あと、神食の要素が気になる人には全部見て欲しい。
・監督は「直接的に政治的な最後の作品」と言っていた。
 自分たちが信じた夢という意味では当事者性も強い。
 監督は「夢とその終わり」に敏感な人なんだそうだ。