2018/03/09

洋画備忘録:テオ・アンゲロプロス『狩人』

『狩人』(Οι Κυνηγοί, 1977)

【記事について】
・見た映画についてストーリーや感想をまとめます。
 ストーリーは一部始終を書くのでネタバレ注意です。
 ※2018/03/16 記憶違いが結構ありました。
  改めて見直したので、全体的に更新しておきます。

【ストーリー要約】
Ⅰ.忘れられた死体
・1976年の年末、6人の狩人が雪山で死体を発見する。
 その死体は内戦を戦った左派と同じ軍服を着ていた。
 内戦は30年前なのに、死体は温かい血を流していた。
・6人は死体を新年会前のホテル「栄光館」へ運び込む。
 通報を受けた警察が到着し、事件の事情聴取を始める。

Ⅱ.事情聴取と狩人たちの告白
・狩人とその妻たちは、憲兵に戦後の記憶を語り始める。
1.栄光館の経営者サバスは米軍を助ける密告者だった。
  彼は左派狩りに協力した返礼に栄光館の建物を得た。
2.実業家ヤニスは左派を妨げた選挙管理委員長だった。
  だが、指導者の釈放に押され、左派の議席は増えた。
3.サバスの義弟ファンタギスは内戦期の左派だった。
  左派弾圧が強まり、左派の指導者がテロで死亡する。
  ファンタギスも投獄されるが、仮釈放を提案される。
  彼は左派の不利になる証言に署名し、仮釈放された。
4.政治家は王室に屈し、右派寄りの内閣を組み直した。
5.退役軍人は左派民主同盟の集会の襲撃を指揮した。
・ファンタギスは革命はいつくるのかと問い、自殺する。
 ※サバスが二階で銃殺したのか、よくわからない場面。

Ⅱ.新年会と銃殺刑
・警察は死体とファンタギスの死を自殺として処理する。
・事件の片は付けられ、来賓が到着し、新年会が始まる。
 新年を祝う間に来賓は消え、左派の兵士が乱入する。
 雪山の死体も身を起こし、狩人と妻たちは処刑される。

Ⅳ.何も起こらない大晦日
・全ては悪夢だった。狩人たちは雪山へ死体を埋めた。
 冒頭の構図に戻り、彼らは死体を発見せずに終わる。

【感想】
Ⅰ.戦後ギリシャの30年を辿る回想
・狩人たちの回想は戦後ギリシャの30年間と対応する。
 1945-1949:ギリシア内戦(英米&右派 vs 左派)
  支配権を得た英国が左派にかけた圧力が始まり。
  右派=国王派と左派=共産派は戦時中の二大勢力。
  英国は内戦を放棄し、代わりに米国が終わらせた。
  →サバスの協力した残党狩りは1949年。
 1950-1957:米国管理下の右派政権。左派が伸張。
  米国は冷戦構造に組み込む形で右派政権を支持。
  選挙妨害や弾圧行為で不正があったことが有名。
  →ヤニスの選挙妨害の失敗は1958年。
 1958-1963:議席を増やした左派への弾圧強化。
  劇中では右派が過激派のテロ活動を黙認し始める。
  →右派のテロとファンタギスの仮釈放は1962年。
 1964-1966:中道&左派政権。東側への接近・対話。
  左派と中道が連立政権を組むも、国王が反発する。
  →政治家が組閣し直したのは1965年。
 1967-1974:クーデターと軍事独裁。左派への弾圧。
  軍部の不満が動機だが、左派弾圧を口実とした。
  →大佐が左派の集会を襲撃したのは1967年。
 1975-:軍事政権が自壊し、現在の共和制が成立する。
  →雪山の死体が発見されるのは1976年の大晦日。
・劇中で政治家と退役軍人の名が明かされることはない。
 これは二人が実在の人物として通用するからだと思う。
 政治家は独白の場面からパパンドレウに当てはまる。
 退役軍人は身分と回想からパパドプロスに当てはまる。

Ⅱ.役者の動きで表す場面転換
・いくつかの場面転換は役者の動きだけで表現される。
 (回想が始まる場面や、死体を埋めて冒頭に戻る場面)
 つまり画面を切り替えないのだけれど、演劇みたいだ。
 役者の動きだけだと(死体のような)道具は動かない。
 そういう道具はないものとするのが観劇のお約束だ。
 画面を切り替えられる映画には珍しい手法に思える。
・この手法が一番生きるのはやはり悪夢から覚めた後だ。
 起き上がり、死体を調べ、雪山に埋め、冒頭に戻る。
 ただの夢落ちなら、このシーンは見せる必要がない。
 この動きを見ると、夢幻能を見ているように感じる。
 まるで、過去の罪を語り、刑死を演じる儀式のようだ。
 この儀式を経ることで、過去は未来の中に場所を得る。
 供養と贖罪はこういう儀礼でしかあり得ないのだろう。

Ⅲ.戦後の終わり
・ある場面で、雪山の死体は「歴史の誤り」と呼ばれる。
 戦後、自由な民主制の達成には長い時間がかかった。
 その間は内戦、米国や国王の介入、軍事独裁が続いた。
 まさに共和国成立の1975年は戦後の終わりだった。
 この戦後脱却の意識にとって、あの死体はエラーだ。
 済んだことを思い出させる不合理さがあるからだろう。
・この点は、さっき語った供養や儀式の性格にも通じる。
 供養の儀式は(不合理でも)過去との決着には必要だ。
 記憶の猛威を鎮めるのが時の流れじゃないこともある。
 罪を犯した側だけが生き延びた記憶に何ができるのか。
・夢の中で、狩人たちは裁判と処刑の手続きを踏んだ。
 (死体についての聴取は罪の尋問にすり替わっている。)
 彼らは夢から覚め、死体のない猶予の中を生きていく。

Ⅲ.タイトルの意味を考える
・「狩人(たち)」というのは原題通りの邦題のようだ。
 「雪山で狩りをする人」という以上に何かあるだろう。
 「左派狩りの加担者」という読みがオーソドックスか。

Ⅳ.全体的な感想:戦後モノに関心のある人向け
・歴史の順序にはなっているけれど、難易度は高い。
 その理由は、ギリシャ戦後史の展開が複雑だからだ。
 その辺りは最初の感想の時系列を参考にしてほしい。
 とはいえ、テーマは歴史を知らずとも伝わるだろう。
・ギリシャ戦後史モノを見たい人は特に楽しめるはず。
 あるいは、戦後史一般に関心のある人にも勧めたい。
 アンゲロプロス目当ての人は言うまでもないだろう。
「ギリシア現代史三部作」の一つという話も聞く。
 (名付け親が監督なのか、批評家なのかは不明。)
 その中で共和制以降に作られたのは『狩人』だけだ。
 (75年公開の『旅芸人の記録』の制作は軍政中。)
 脚本としても、『狩人』は共和制世代に訴えている。
 三部作で見るなら、この違いを見ても面白いかも。