2019/08/11

洋楽よもやま話:ビーチ・ボーイズ no. 1

【記事について】
・今夜はなんだか夏気分というか、ビーチ気分なので、ビーチ・ボーイズを流している。ビーチ・ボーイズはアメリカ西海岸のカリフォルニアを拠点に結成されたバンドで、1961年のデビューから瞬く間に大人気グループへ成長した。今日はそんな60年代の彼らについて、彼らの音楽を流しながらつらつらと綴ってみたいと思う。
※楽曲は全てYouTubeアートトラック(権利を買った復刻レーベルがYouTubeの公認で登録した動画)から貼ります。

【カリフォルニアとサーフィン】
・ビーチ・ボーイズが登場した頃のカリフォルニアでは、若者たちがサーフィンに熱狂していた。ビーチ・ボーイズの最初のアルバム『サーフィン・サファリ』(1962)のノートには、南カリフォルニアのサーフィン・ブームが「最近の熱狂ぶり」(the latest craze)として紹介されているので、やはり60年代前半はカリフォルニアのサーフィン文化にとって特別な時期だったみたいだ。もちろん、このサーフィン・ブームはビーチ・ボーイズが生んだものではなく、むしろビーチ・ボーイズの方がサーフィン・ブームの中から登場した風雲児だった。
サーフィン・サファリ 1962年6月4日リリース
(公式のYouTubeアートトラックより)

・近代サーフィンの三大中心地はカリフォルニア、ハワイ、オーストラリア。日本のサーフィンも神奈川とか千葉のイメージがあるし、太平洋には人を木の板に乗せる魔力があるのかもしれない。(横暴な帰納法)

【『ギジェット』とサーフィン文化】
・サーフィン・ブームの火付け役となったのは1959年にヒットした映画『ギジェット』だ。これは少女フランシスが17歳の夏をサーフィンと恋に費やす青春物語で、タイトルは作中でフランシスがサーフィン仲間からもらうあだ名「ギジェット」(girlとmidgetを合わせた「チビ子」みたいな名前)から来ている。そして、この映画の舞台はカリフォルニアだった。
・この映画はサーフィンの流行だけじゃなく、青春サーフィン映画の流行も生んだ。1960年代のサーフィン映画はまとめて「ビーチ・パーティ・フィルム」と呼ばれている。このジャンル名はカリフォルニアを舞台とした1963年のミュージカル映画『ビーチ・パーティ』から来ている。要するに、ビーチ・ボーイズが人気だった時代のカリフォルニアは、実際のサーフィンはもちろん、サーフィンにちなんだ音楽や映画を生み出すエネルギーを持っていた。
・『ギジェット』のワンシーン。初めてサーフィン乗ってウキウキのフランシス。僕も一度だけ親戚につれられて千葉でサーフィンをしたことがある。波に合わせてボードに立つだけでもなかなかに難しいけれど、かなり楽しいスポーツだと思う。
・『ギジェット』で主人公を演じたサンドラ・ディーはフランシスの設定と同じ17歳。『ギジェット』はディーの人気を確立した作品であり、ディーの代表作の一つとなった。

【サーファーとサーフ・ミュージック】
・ビーチ・ボーイズは60年代のサーフィン文化のアイコンになったが、サーファーたちはその少し前から特定の音楽ジャンルと結びついていた。それがサーフ・ミュージックだ。ただし、サーフ・ミュージックというジャンル名は「サーフ感を出した音楽」ではなく「サーファーが愛した音楽」を意味する事後的な名前だ。
・第一世代のサーフ・ミュージックの実質は、インストゥルメンタル・ロックのブーム、つまりボーカルがいない代わりにエレキギターが主役になっているようなバンド音楽のブームだったと言っていいと思う。今日のヒットチャートにボーカルなしの音楽がランクインすることは滅多にないけれど、50年代末のヒットチャートにインストゥルメンタル・ロックがランクインすることはそこまで珍しいことではなかった。
・50年代のインストゥルメンタル・ロックを支えたベンチャーズの代表曲「ウォーク・ドント・ラン」。英米だけじゃなく日本でも流行し、日本最初のエレキ・ブームの一端を担った。ちなみに小説『青春デンデケデケデケ』の主人公ちっくんに「デンデケデケデケ」という啓示を与えたのも1965年のラジオで流れたベンチャーズという設定。今日では、当時のインストゥルメンタル・ロックの曲を耳にすることは滅多にない。ただし、その例外となっているのが(ビーチ・ボーイズと同世代の)ディック・デイルの「ミザールー」なんだけれど、この曲はカバーだから一世代前のバージョンと比べて聴いてみよう。
・このアートトラックのカバーは思いっきりタランティーノ感が出ているけれど、その話は後にしよう。まず、「ミザールー」という曲名は「エジプト風」という意味のギリシア語だ。なんでギリシア語かというと、この曲自体がギリシアを含めた地中海沿岸地域の民謡だからだ。上に貼った録音はピアニストのジャン・オーガストが1946年にヒットさせたカバーで、「ミザールー」が初めてビルボードのチャートに載ったときのバージョンだ。そして、50年代後半に発展したロックンロールを継承し、「ミザールー」をエレキギターで大胆にカバーしたのがディック・デイルだった。
・ディック・デイルは今年の3月に亡くなった。そのときのニュースはツイッターのトレンドになるくらいには大きかったから、もしかしたら目にした人もいるかもしれない。1962年に発表された「ミザールー」はディック・デイルの代表曲にして、今でも耳にするほぼ唯一のオールディーズ系インストゥルメンタル・ロックだ。この曲が今日有名な理由は、1994年の映画『パルプ・フィクション』に使われたからだろう。実際、僕も子供の頃に親が聴いていた「映画音楽名曲集」みたいなコンピレーション・アルバムで耳にしたけれど、それは間違いなく『パルプ・フィクション』から収録されたものだ。(この映画にはツイスト大会のシーンもあったけれど、50年代末~60年代初頭へのオマージュみたいなものがあるんだろうか?)
・何はともあれ、ビーチ・ボーイズが登場する前から、サーファーたちは音楽文化を持っていて、それは上に挙げたようなインストゥルメンタル・ロックの音楽だった。それは50年末に知名度のあるジャンルの一つであり、60年代初めの頃にはカリフォルニアのサーファーたちの音風景となっていた。そして、ボーカルなしのサーフ・ミュージックのピークにいたのがディック・デイルだった。このエレキな音楽に美しくゆったりとしたコーラスが入ることでビーチ・ボーイズのサウンドの骨格、そして第二世代のサーフ・ミュージックが出来上がるわけなんだけど、もうずいぶん話が長くなってしまったので、また今度書くことにしたい。最後に、ビーチ・ボーイズの2ndアルバム『サーフィンU.S.A.』(1963年)に収録された「ミザールー」のカバーを流そう。
・聴いての通り、これはビーチ・ボーイズ自身によるアレンジというよりも、ディック・デイルのアレンジをカバーしたものだ。カリフォルニアのサーファーたちがインストゥルメンタル・ロックにハマっていたという背景がわかれば、「どうしてビーチ・ボーイズのアルバムにディック・デイル?」という疑問も解けることかと思う。いずれにせよ、ビーチ・ボーイズは無から生まれてビーチのアイコンになったんじゃなくて、むしろ当時のカリフォルニアのサーフ文化の真っ只中で育った「ビーチの少年たち」だったんじゃないか、と僕は思っている。それでは次回をお楽しみに。